「銭湯の思い出」の歌詞 ミドリカワ書房
2011/7/13 リリース- 文字サイズ
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この楽曲へのみんなの気持ち
湯船ゆぶねうで僕ぼくらが騒さわいでいると いつもおじさんに怒鳴どなられた
「うるせーなガキども!」坊主頭ぼうずあたまでプロレスラーみたいだったおじさん
おじさんのでっかい背中せなかには 綺麗きれいなカッコいい絵えが書かいてあって
それはお尻しりにまで届とどく程ほどの 大おおきな大おおきなものだったんだ
ある時とき「おじさんの背中綺麗せなかきれいだね」と言いったら
「バカヤロー綺麗きれいなもんか」と照てれるように背中せなかを隠かくした
それが刺青いれずみというものだったという事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
おじさんには娘むすめさんがいて いつも一人外ひとりそとで待まっていた
僕ぼくらは湯上ゆあがりの体からだを冷さましつつ 女おんなの子この様子ようすを観察かんさつした
おじさんが出でて来くると女おんなの子こは コーラを一気いっきに飲のみ干ほして
おじさんのぶっとい腕うでに掴つかまった 母子家庭ぼしかていの僕ぼくは羨うらやむばかり
あんなお父とうさんがいたらなあ 二人ふたりを見みながらいつも思おもった
女おんなの子この手てを引ひきながらダミ声ごえで歌うたってた歌うたが
「人生じんせいを語かたらず」という歌うただったという事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
中学生ちゅうがくせいになって僕ぼくらは 銭湯せんとうに行いかなくなってしまった
そしてあの女おんなの子こと同おなじ学校がっこうになるとは まさか思おもってなかった
そもそも同おない年どしだったとは 何なんだか大人おとなっぽく見みえたから
テレビに出でて来くる女優じょゆうさんのような 彼女かのじょに僕ぼくは夢中むちゅうになった
僕ぼくは想おもいを打うち明あけて 運うんよく付つき合あう事ことが出来できた
「あんなお父とうさんがいたらなあ」というあの頃ころの夢ゆめが
23にじゅうさんになる春はるに叶かなうんだっていう事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
今いまでもお義父とうさんとはたまに 銭湯せんとうに行いく事ことがある
背中せなかの絵えは少すこし萎しぼんでしまったが やさしい笑顔えがおとダミ声ごえはあの頃ころのまま
「うるせーなガキども!」坊主頭ぼうずあたまでプロレスラーみたいだったおじさん
おじさんのでっかい背中せなかには 綺麗きれいなカッコいい絵えが書かいてあって
それはお尻しりにまで届とどく程ほどの 大おおきな大おおきなものだったんだ
ある時とき「おじさんの背中綺麗せなかきれいだね」と言いったら
「バカヤロー綺麗きれいなもんか」と照てれるように背中せなかを隠かくした
それが刺青いれずみというものだったという事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
おじさんには娘むすめさんがいて いつも一人外ひとりそとで待まっていた
僕ぼくらは湯上ゆあがりの体からだを冷さましつつ 女おんなの子この様子ようすを観察かんさつした
おじさんが出でて来くると女おんなの子こは コーラを一気いっきに飲のみ干ほして
おじさんのぶっとい腕うでに掴つかまった 母子家庭ぼしかていの僕ぼくは羨うらやむばかり
あんなお父とうさんがいたらなあ 二人ふたりを見みながらいつも思おもった
女おんなの子この手てを引ひきながらダミ声ごえで歌うたってた歌うたが
「人生じんせいを語かたらず」という歌うただったという事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
中学生ちゅうがくせいになって僕ぼくらは 銭湯せんとうに行いかなくなってしまった
そしてあの女おんなの子こと同おなじ学校がっこうになるとは まさか思おもってなかった
そもそも同おない年どしだったとは 何なんだか大人おとなっぽく見みえたから
テレビに出でて来くる女優じょゆうさんのような 彼女かのじょに僕ぼくは夢中むちゅうになった
僕ぼくは想おもいを打うち明あけて 運うんよく付つき合あう事ことが出来できた
「あんなお父とうさんがいたらなあ」というあの頃ころの夢ゆめが
23にじゅうさんになる春はるに叶かなうんだっていう事ことを 知しるのはだいぶ後あとになって
今いまでもお義父とうさんとはたまに 銭湯せんとうに行いく事ことがある
背中せなかの絵えは少すこし萎しぼんでしまったが やさしい笑顔えがおとダミ声ごえはあの頃ころのまま