「声に出して歌いたい日本文学」の歌詞 桑田佳祐
2009/12/9 リリース- 文字サイズ
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この楽曲へのみんなの気持ち
『汚れつちまつた悲しみに……』 中原中也
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも小雪こゆきの降ふりかかる
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも風かぜさへ吹ふきすぎる
たとへば狐きつねの革裘かはごろも
小雪こゆきのかかつてちぢこまる
汚よごれつちまつた悲かなしみは
なにのぞむなくねがふなく
倦怠けだいのうちに死しを夢ゆめむ
汚よごれつちまつた悲かなしみは
汚よごれつちまつた悲かなしみに
なすところもなく日ひは暮くれる……
『智恵子抄』 高村光太郎
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
ほんとの空そらが見みたいといふ。
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
私わたしは驚おどろいて空そらを見みる。
桜若葉さくらわかばの間あいだに在あるのは、
切きつても切きれない
むかしなじみのきれいな空そらだ。
智恵子ちえこは遠とおくを見みながら言ゆふ。
阿多多羅山あたたらやまの上うえに
毎日出まいにちでてゐる青あおい空そらが
智恵子ちえこのほんとの空そらだといふ。
あどけない空そらの話はなしである。
『人間失格』 太宰治
恥はじの多おおい生涯しょうがいを送おくってきました。
自分じぶんには、人間にんげんの生活せいかつというものが、見当けんとうつかないのです。
自分じぶんは隣人りんじんと、ほとんど会話かいわが出来できません。
そこで考かんがえ出だしたのは、道化どうけでした。最後さいごの求愛きゅうあいでした。
夕立ゆうだちが降ふった或ある放課後ほうかご、「耳みみが痛いたい」と言ゆう竹一たけいちを見みると、
ひどい耳みみだれで、念入ねんいりに耳みみの掃除そうじをしてやりました。人間にんげん、失格しっかく。
いまは自分じぶんには、幸福こうふくも不幸ふこうもありません。
自分じぶんはことし、二十七にじゅうしちになります。
白髪しらががめっきりふえたので、たいていの人ひとから、四十以上しじゅういじょうに見みられます。
子供相手こどもあいての雑誌ざっしだけでなく、駅売えきうりの粗悪そあくで卑猥ひわいな雑誌ざっしなどに
汚きたないはだかの絵えなどを画かいて、画かいていました。人間にんげん、失格しっかく
『みだれ髪』 与謝野晶子
やは肌はだのあつき血潮ちしほにふれも見みでさびしからずや道みちを説とく君きみ
乳ちぶさおさへ神秘しんぴのとばりそとけりぬここなる花はなの紅くれなゐぞ濃こき
いとせめてもゆるがままにもえしめよ欺かくぞ覚おぼゆる暮くれて行ゆく春はる
春はるみじかし何なんに不滅ふめつの命いのちぞとちからある乳ちを手てにさぐらせぬ
人ひとの子この恋こいをもとむる唇くちびるに毒どくある蜜みつをわれぬらむ願ねがひ
『蜘蛛の糸』 芥川龍之介
ある日ひの事ことでございます。
御釈迦様おしゃかさまは極楽ごくらくの蓮池はすいけのふちを、
独ひとりでぶらぶら御歩おあるきになっていらっしゃいました。
この極楽ごくたくの蓮池はすいけの下したは、丁度地獄ちょうどじごくの底そこに当あたっておりますから、
水晶すいしょうのような水みずを透すき徹とおして、三途さんずの河かわや針はりの山やまの景色けしきが、
丁度覗ちょうどのぞき眼鏡めがねを見みるように、はっきりと見みえるのでございます。
地獄じごくの底そこに、かんだたと云ゆう男おとこが一人ひとり、蠢うごめいている。
この男おとこは、人ひとを殺ころしたり、悪事あくじを働はたいた大泥坊おおどろぼう、
それでもたった一ひとつ、善よい事こと
蜘蛛くもを殺ころさずに助たすけてやったからでございます。
御釈迦様おしゃかさまは地獄じごくの容子ようすを御覧ごらんになりながら、
かんだたには蜘蛛くもを助たすけた事ことがあるのを御思おもい出だしになりました。
この男おとこを地獄じごくから救すくい出だしてやろうと御考おかんがえになりました。
『蟹工船』 小林多喜二
二人ふたりはデッキの手てすりに寄よりかかって、蝸牛かたつむりが背せのびをしたように延のびて、
海うみを抱かかえ込こんでいる函館はこだての街まちを見みていた。
蟹かにの生なまッ臭くさいにおいと人ひといきれのする「糞壺くそつぼ」の中なかに線香せんこうのかおりが、
香水こうすいか何なにかのように、ただよった……
諸君しょくん、とうとう来きた!
長ながい間あいだ、長ながい間俺達あいだおれたちは待まっていた。
半殺はんごろしにされながらも、待まっていた。今いまに見みろ、と。
しかしとうとう来きた。
俺達おれたちは力ちからを合あわせることだ。俺達おれたちは仲間なかまを裏切うらぎらないことだ。
彼奴等如あいつらごときをモミつぶすは、虫むしケラより容易たやすいことだ。
「おい、地獄じごくさ行えぐんだで!」
「ストライキだ。」
『たけくらべ』 樋口一葉
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
ゑゝ厭いや厭いや、大人おとなに成なるは厭いやな事こと、
何故なぜこのやうに年としをば取とる、最もう七月十月ななつきとつき、
一年いちねんも以前もとへ帰かえりたい
『一握の砂』 石川啄木
東海とうかいの小島こじまの磯いその白砂しらすなに
われ泣なきぬれて
蟹かにとたはむる
いのちなき砂すなのかなしさよ
さらさらと
握にぎれば指ゆびのあひだより落おつ
こころよく我われにはたらく仕事しごとあれ
それを仕遂しとげて死しなむと思おもふ
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
妻つまとしたしむ
一握いちあくの砂すな
『吾輩は猫である』 夏目漱石
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
ある穏おだやかな日ひに大おおきな猫ねこが前後不覚ぜんごふかくに寝ねている。
彼かれは純粋じゅんすいの黒猫くろねこである。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
銀河ぎんがステーション……
ジョバンニはもういろいろなことで胸むねがいっぱいでなんにも云いえずに博士はかせの前まえをはなれて
早はやくお母かあさんに牛乳ぎゅうにゅうを持もって行いってお父とうさんの帰かえることを知しらせようと思おもうと
もう一目散いちもくさんに河原かわらを街まちの方ほうへ走はしりました。
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも小雪こゆきの降ふりかかる
汚よごれつちまつた悲かなしみに
今日きょうも風かぜさへ吹ふきすぎる
たとへば狐きつねの革裘かはごろも
小雪こゆきのかかつてちぢこまる
汚よごれつちまつた悲かなしみは
なにのぞむなくねがふなく
倦怠けだいのうちに死しを夢ゆめむ
汚よごれつちまつた悲かなしみは
汚よごれつちまつた悲かなしみに
なすところもなく日ひは暮くれる……
『智恵子抄』 高村光太郎
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
ほんとの空そらが見みたいといふ。
智恵子ちえこは東京とうきょうに空そらがないといふ、
私わたしは驚おどろいて空そらを見みる。
桜若葉さくらわかばの間あいだに在あるのは、
切きつても切きれない
むかしなじみのきれいな空そらだ。
智恵子ちえこは遠とおくを見みながら言ゆふ。
阿多多羅山あたたらやまの上うえに
毎日出まいにちでてゐる青あおい空そらが
智恵子ちえこのほんとの空そらだといふ。
あどけない空そらの話はなしである。
『人間失格』 太宰治
恥はじの多おおい生涯しょうがいを送おくってきました。
自分じぶんには、人間にんげんの生活せいかつというものが、見当けんとうつかないのです。
自分じぶんは隣人りんじんと、ほとんど会話かいわが出来できません。
そこで考かんがえ出だしたのは、道化どうけでした。最後さいごの求愛きゅうあいでした。
夕立ゆうだちが降ふった或ある放課後ほうかご、「耳みみが痛いたい」と言ゆう竹一たけいちを見みると、
ひどい耳みみだれで、念入ねんいりに耳みみの掃除そうじをしてやりました。人間にんげん、失格しっかく。
いまは自分じぶんには、幸福こうふくも不幸ふこうもありません。
自分じぶんはことし、二十七にじゅうしちになります。
白髪しらががめっきりふえたので、たいていの人ひとから、四十以上しじゅういじょうに見みられます。
子供相手こどもあいての雑誌ざっしだけでなく、駅売えきうりの粗悪そあくで卑猥ひわいな雑誌ざっしなどに
汚きたないはだかの絵えなどを画かいて、画かいていました。人間にんげん、失格しっかく
『みだれ髪』 与謝野晶子
やは肌はだのあつき血潮ちしほにふれも見みでさびしからずや道みちを説とく君きみ
乳ちぶさおさへ神秘しんぴのとばりそとけりぬここなる花はなの紅くれなゐぞ濃こき
いとせめてもゆるがままにもえしめよ欺かくぞ覚おぼゆる暮くれて行ゆく春はる
春はるみじかし何なんに不滅ふめつの命いのちぞとちからある乳ちを手てにさぐらせぬ
人ひとの子この恋こいをもとむる唇くちびるに毒どくある蜜みつをわれぬらむ願ねがひ
『蜘蛛の糸』 芥川龍之介
ある日ひの事ことでございます。
御釈迦様おしゃかさまは極楽ごくらくの蓮池はすいけのふちを、
独ひとりでぶらぶら御歩おあるきになっていらっしゃいました。
この極楽ごくたくの蓮池はすいけの下したは、丁度地獄ちょうどじごくの底そこに当あたっておりますから、
水晶すいしょうのような水みずを透すき徹とおして、三途さんずの河かわや針はりの山やまの景色けしきが、
丁度覗ちょうどのぞき眼鏡めがねを見みるように、はっきりと見みえるのでございます。
地獄じごくの底そこに、かんだたと云ゆう男おとこが一人ひとり、蠢うごめいている。
この男おとこは、人ひとを殺ころしたり、悪事あくじを働はたいた大泥坊おおどろぼう、
それでもたった一ひとつ、善よい事こと
蜘蛛くもを殺ころさずに助たすけてやったからでございます。
御釈迦様おしゃかさまは地獄じごくの容子ようすを御覧ごらんになりながら、
かんだたには蜘蛛くもを助たすけた事ことがあるのを御思おもい出だしになりました。
この男おとこを地獄じごくから救すくい出だしてやろうと御考おかんがえになりました。
『蟹工船』 小林多喜二
二人ふたりはデッキの手てすりに寄よりかかって、蝸牛かたつむりが背せのびをしたように延のびて、
海うみを抱かかえ込こんでいる函館はこだての街まちを見みていた。
蟹かにの生なまッ臭くさいにおいと人ひといきれのする「糞壺くそつぼ」の中なかに線香せんこうのかおりが、
香水こうすいか何なにかのように、ただよった……
諸君しょくん、とうとう来きた!
長ながい間あいだ、長ながい間俺達あいだおれたちは待まっていた。
半殺はんごろしにされながらも、待まっていた。今いまに見みろ、と。
しかしとうとう来きた。
俺達おれたちは力ちからを合あわせることだ。俺達おれたちは仲間なかまを裏切うらぎらないことだ。
彼奴等如あいつらごときをモミつぶすは、虫むしケラより容易たやすいことだ。
「おい、地獄じごくさ行えぐんだで!」
「ストライキだ。」
『たけくらべ』 樋口一葉
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
何時いつまでも何時いつまでも人形にんぎょうと紙雛あねさまとをあひ手てにして
飯事ままごとばかりして居いたらば嘸さぞかし嬉うれしき事ことならんを、
ゑゝ厭いや厭いや、大人おとなに成なるは厭いやな事こと、
何故なぜこのやうに年としをば取とる、最もう七月十月ななつきとつき、
一年いちねんも以前もとへ帰かえりたい
『一握の砂』 石川啄木
東海とうかいの小島こじまの磯いその白砂しらすなに
われ泣なきぬれて
蟹かにとたはむる
いのちなき砂すなのかなしさよ
さらさらと
握にぎれば指ゆびのあひだより落おつ
こころよく我われにはたらく仕事しごとあれ
それを仕遂しとげて死しなむと思おもふ
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
友ともがみなわれよりえらく見みゆる日ひよ
花はなを買かひ来きて
妻つまとしたしむ
一握いちあくの砂すな
『吾輩は猫である』 夏目漱石
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこである。名前なまえはまだ無ない。
ある穏おだやかな日ひに大おおきな猫ねこが前後不覚ぜんごふかくに寝ねている。
彼かれは純粋じゅんすいの黒猫くろねこである。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
吾輩わがはいは猫ねこであるである。名前なまえはまだ無ない。
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
銀河ぎんがステーション……
ジョバンニはもういろいろなことで胸むねがいっぱいでなんにも云いえずに博士はかせの前まえをはなれて
早はやくお母かあさんに牛乳ぎゅうにゅうを持もって行いってお父とうさんの帰かえることを知しらせようと思おもうと
もう一目散いちもくさんに河原かわらを街まちの方ほうへ走はしりました。