「Baroque」の歌詞 Sound Horizon
2005/4/13 リリース- 文字サイズ
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この楽曲へのみんなの気持ち
主しゅよ、私わたしは人間ひとを殺あやめました。
私わたしは、この手てで大切たいせつな女性ひとを殺あやめました。
思おもえば私わたしは、幼おさない時分じぶんより酷ひどく臆病おくびょうな性格せいかくでした。
他人たにんというものが、私わたしには何なんだかとても恐おそろしく思おもえたのです。
私わたしが認識にんしきしている世界せかいと、他人たにんが認識にんしきしている世界せかい。
私わたしが感かんじている感覚かんかくと、他人たにんが感かんじている感覚かんかく。
『違ちがう』ということは、私わたしにとって耐たえ難がたい恐怖きょうふでした。
それがいづれ『拒絶きょぜつ』に繋つながるということを、無意識むいしきの内うちに知しっていたからです。
楽たのしそうな会話かいわの輪わにさえ、加くわわることは恐おそろしく思おもえました。
私わたしには判わからなかったのです、他人たにんに合あわせる為ための笑わらい方かたが。
いっそ空気くうきになれたら素敵すてきなのにと、いつも口くちを閉とざしていました。
そんな私わたしに初はじめて声こえを掛かけてくれたのが、彼女かのじょだったのです。
美うつくしい少女ひとでした、優やさしい少女ひとでした。
月つきのように柔やわらかな微笑ほほえみが、印象的いんしょうてきな少女ひとでした。
最初さいしょこそ途惑とまどいはしましたが、私わたしはすぐに彼女かのじょが好すきになりました。
私わたしは彼女かのじょとの長ながい交まじわりの中なかから、多おおくを学まなびました。
『違ちがう』ということは『個性こせい』であり、『他人たにん』という存在そんざいを『認みとめる』ということ。
大切たいせつなのは『同一どういつであること』ではなく、お互たがいを『理解りかいし合あうこと』なのだと。
しかし、ある一点いってんにおいて、私わたしと彼女かのじょは『違ちがい過すぎて』いたのです。
狂くるおしい愛欲あいよくの焔ほのおが、身みを灼やく苦くるしみを知しりました。
もう自分じぶんではどうする事ことも出来できない程ほど、私わたしは『彼女かのじょを愛あいしてしまっていた』のです。
私わたしは勇気ゆうきを振ふり絞しぼり、想おもいの全すべてを告白こくはくしました。
しかし、私わたしの想おもいは彼女かのじょに『拒絶きょぜつ』されてしまいました。
その時ときの彼女かのじょの言葉ことばは、とても哀かなしいものでした。
その決定的けっていてきな『違ちがい』は、到底とうてい『解わかり合あえない』と知しりました。
そこから先さきの記憶きおくは、不思議ふしぎと客観的きゃっかんてきなものでした。
泣なきながら逃にげてゆく彼女かのじょを、私わたしが追おい駆かけていました。
縺もつれ合あうように石畳いしだたみを転ころがる、《性的倒錯性歪曲バロック》の乙女達おとめたち。
愛あいを呪のろいながら、石段いしだんを転ころがり落おちてゆきました……。
この歪いびつな心こころは、この歪いびつな貝殻かいがらは、
私わたしの紅あかい真珠しんじゅは歪ひずんでいるのでしょうか?
誰だれも赦ゆるしが欲ほしくて告白こくはくしている訳わけではないのです。
この罪つみこそが、私わたしと彼女かのじょを繋つなぐ絆きずななのですから。
この罪つみだけは、神かみにさえも赦ゆるさせはしない……。
──激はげしい雷鳴らいめい 浮うかび上あがる人影ひとかげ
いつの間まにか祭壇さいだんの奥おくに『仮面かめんの男おとこ』が立たっていた──
私わたしは、この手てで大切たいせつな女性ひとを殺あやめました。
思おもえば私わたしは、幼おさない時分じぶんより酷ひどく臆病おくびょうな性格せいかくでした。
他人たにんというものが、私わたしには何なんだかとても恐おそろしく思おもえたのです。
私わたしが認識にんしきしている世界せかいと、他人たにんが認識にんしきしている世界せかい。
私わたしが感かんじている感覚かんかくと、他人たにんが感かんじている感覚かんかく。
『違ちがう』ということは、私わたしにとって耐たえ難がたい恐怖きょうふでした。
それがいづれ『拒絶きょぜつ』に繋つながるということを、無意識むいしきの内うちに知しっていたからです。
楽たのしそうな会話かいわの輪わにさえ、加くわわることは恐おそろしく思おもえました。
私わたしには判わからなかったのです、他人たにんに合あわせる為ための笑わらい方かたが。
いっそ空気くうきになれたら素敵すてきなのにと、いつも口くちを閉とざしていました。
そんな私わたしに初はじめて声こえを掛かけてくれたのが、彼女かのじょだったのです。
美うつくしい少女ひとでした、優やさしい少女ひとでした。
月つきのように柔やわらかな微笑ほほえみが、印象的いんしょうてきな少女ひとでした。
最初さいしょこそ途惑とまどいはしましたが、私わたしはすぐに彼女かのじょが好すきになりました。
私わたしは彼女かのじょとの長ながい交まじわりの中なかから、多おおくを学まなびました。
『違ちがう』ということは『個性こせい』であり、『他人たにん』という存在そんざいを『認みとめる』ということ。
大切たいせつなのは『同一どういつであること』ではなく、お互たがいを『理解りかいし合あうこと』なのだと。
しかし、ある一点いってんにおいて、私わたしと彼女かのじょは『違ちがい過すぎて』いたのです。
狂くるおしい愛欲あいよくの焔ほのおが、身みを灼やく苦くるしみを知しりました。
もう自分じぶんではどうする事ことも出来できない程ほど、私わたしは『彼女かのじょを愛あいしてしまっていた』のです。
私わたしは勇気ゆうきを振ふり絞しぼり、想おもいの全すべてを告白こくはくしました。
しかし、私わたしの想おもいは彼女かのじょに『拒絶きょぜつ』されてしまいました。
その時ときの彼女かのじょの言葉ことばは、とても哀かなしいものでした。
その決定的けっていてきな『違ちがい』は、到底とうてい『解わかり合あえない』と知しりました。
そこから先さきの記憶きおくは、不思議ふしぎと客観的きゃっかんてきなものでした。
泣なきながら逃にげてゆく彼女かのじょを、私わたしが追おい駆かけていました。
縺もつれ合あうように石畳いしだたみを転ころがる、《性的倒錯性歪曲バロック》の乙女達おとめたち。
愛あいを呪のろいながら、石段いしだんを転ころがり落おちてゆきました……。
この歪いびつな心こころは、この歪いびつな貝殻かいがらは、
私わたしの紅あかい真珠しんじゅは歪ひずんでいるのでしょうか?
誰だれも赦ゆるしが欲ほしくて告白こくはくしている訳わけではないのです。
この罪つみこそが、私わたしと彼女かのじょを繋つなぐ絆きずななのですから。
この罪つみだけは、神かみにさえも赦ゆるさせはしない……。
──激はげしい雷鳴らいめい 浮うかび上あがる人影ひとかげ
いつの間まにか祭壇さいだんの奥おくに『仮面かめんの男おとこ』が立たっていた──